


明けましておめでとうございます、本年も素晴らしい年になりますようにと書こうと思っていたのに新年早々 令和6年能登半島地震 と言う大災害となりました。
時間の経過と共に被害の大きさに改めて心を痛めています。
お亡くなりになられました方々には心よりご冥福をお祈り申し上げます。
又、被災されました方々には深くお見舞い申し上げます。
令和6年1月1日お正月の穏やかな日差しの中、その時私は外にいました。
けたたましく地震予報が町を響かせています。
最初は小さな揺れで大した事も無く作業を続けていると又、地震予報その最中に大きく揺れ出した。
私は地面の上に立ったまま家に手をかけていましたが、前の電柱が数本交差するように揺れ出した。
私の家を仰ぎますと橋むように大きく揺れている。
向かいの新築住宅や工事中住宅の庇が当たるように激しく揺れている。
ナマズの大きいのが地下で大暴れをしているというがまさにその通りうまい表現だなと思う。
揺れが収まり妻が気になり家に入り声を掛けるが返事がない、幸い2階で無事で一安心。
2階は揺れが大きく放心状態でした。
外では家から飛び出した人たちが無事を確かめ合い激しかった感想を話している。
防災放送が津波の予報で高い所へ移動するよう何度も何度も大きく放送している。
新築の奥様がここは大丈夫でしょうかと声を震わせている。
私は標高を知っているのでここは大丈夫ですよ海抜が20メートルはありますからと安心させました。家の中を確認すると、築50年の古い建物だが、あんな大きなゆれもによく耐えてくれました。
室内も本棚の本が落ちて、神棚の供え物が落ちている程度。
サイドボードのグラスも中にあり外へは飛び出さなかった。
並び直しているとコーヒーカップがひっくり返っている、よく見ると取っ手がない。
たった一個のコーヒーカップが我が家の身代わりになってくれたのだと思い記念として大事に残そうとそっと手に載せている。
かほく市や能登で生まれ育ち、同じ石川県人として私共や家もスクールも無事だったことを喜ぶと同時に心苦しさも感じている。
災害に合われた方々には力強く立ち上がり復興されることを心よりお祈り申し上げます。
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