喧噪の街の真ん中にお城と中央公園、21世紀美術館、坂を上って兼六園、県立美術館、能楽堂、それに歴史博物館があって国立近代美術館工芸館が工事中。
贅沢な町だ、さすがは文化都市。
緑が濃くなり鬱蒼としたたたずまいの中、駐車場がいっぱいでセミが鳴く酷暑の道を美術館へ伊藤若冲を見に行く
会場は3室、2室は若冲、1室は光揺
1回りするが何が何だか分らない。
2回りするも若冲が何やら何も感じない。
以前テレビで私の絵の意味が分かるには1000年かかると言ったという印象が強い
のか、これが若冲。
3廻り目、何と無く目が慣れてきたのか何回も見たので記憶が重なってきたのか何とな
く見えるようになってきた。
テレビで見た印象の中の鶏と、クジラに像、11個の昆虫が野菜の中にいるという絵が目になれてきた。
これで良いか帰ろうかなと思いながらフッと見ると少し大きな絵が2枚ある、あれさっきの屏風の絵と同じだな。
見比べる気もなく目を動かす、見比べるまでもなくぎょっとした、違う。
何度も行ったり来たりその違いとは何なのだろう。
いっぱいの観客の中を何度も行ききし見比べる。
どんなに良い映画でも止まってはくれないし見比べも同時にはできない。
これ以上は個人の解釈であり今後見に行く人のために感想は書かないが愕然とした。
その絵とは若冲に魅せられた石崎光揺という人の模写だったのだ、その模写もまさに誰も描くことの出来ないような出来栄えなのだろうが私には分らない、ただ比較対象絵として見させてもらった。
社交ダンスの審査は比較である。
地方の大会で優勝した選手を見て、その場の観客は優勝者の演技に酔いしれる。
それ以上の大会選手を知らなければそれが最高だ。
私はダンスの事ならば大体の基準は分かるが、絵にはなかなかこれが良いなどとは分らない。
そこに比較対象物があったおかげで大事なものを見落とすことなく鑑賞して来れた。
それでも若冲のほんの窓口を覗いた程度だとは思うが・・・。
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